長田尾根。

工場長Ⅱ

2011年01月24日 16:02




お。あった。これなんだけどね、、、





やまちゃんが指す先にはマーキングされた石。






そこは長田尾根の上部。

頂上までそんなに距離もない場所だ。



このマーキングは、

長田尾根の鉄柵が撤去されるキッカケになった、

遭難事故の現場だと、やまちゃんが教えてくれた。





事故の概要はこちらを参照してほしい。





詳細はこういうコトのようだ。



当日の天候は荒れていた。

ガスによるホワイトアウト状態。

剣ヶ峰から吉田口に戻るため鉄柵伝いに下山開始。






視界不良のためか、そのまま鉄柵伝いに行き長田尾根に迷い込む。

道迷い。疲労凍死。





そして、鉄柵も原因の一つとして撤去が決まる。

2009年、撤去開始。

2010年、完全撤去。





しかし、、、

この鉄柵は、かなり“想い”込められたモノだったのだ。



以前にも紹介したが詳細はこちらを読んでほしい。



《富士山レポート長田尾根》



少し抜粋させていただく。



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昭和33年。気象庁職員の長田輝雄さんが、
冬季登山中の御殿場口七合目付近で突風に煽られ、頭から岩に激突して殉職される。
享年59歳。
長田さんの死後、全国の気象庁職員から募金がよせられ、
八合目の尾根から頂上に向かって幅1m、長さ1100mの尾根伝いの登山道が開かれ、
風から身を守る鉄柵が設けられた。
そして、この尾根を長田尾根と呼ぶようになった。
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今は無人になってしまったが、

以前、観測所があった時代の職員の方々の通勤路だ。


日本一危険な通勤路を、

少しでも安全にと設置された鉄柵であったのだ。

“想い”みたいなものを感じないだろうか。





私自身も去年の3,4月に、

七合目付近のものだが掴まった思い出があるので、






完全撤去されたと聞いた時は少しがっかりしたものだ。







さて。

鉄柵の話はこのぐらいにして、

八合目から長田尾根を見てみよう。







八合目には記念碑がある。



(※この写真は今回のモノではないです。)





2004年に観測所が閉鎖されてからは、

通る人などほとんど居なくなっただろう。



なので、、、

道などは風化していると思ったのだが、

意外にも道だとはっきり分かるぐらい残っている。








所々踏み跡が薄いところがあるが、

そんな時は鉄柵の土台のコンクリを探せばいい、とやまちゃんが教えてくれた。

(雪で隠れちゃってたらアレですけど。)





当然、鉄柵の跡もある。






ぶった切ったようだ。





そして、、、

ココで一番興味深かったのが風除けのシェルターだ。






こんな感じの石組みのシェルターが、

八合目から頂上までに5つもあるのだ。





上に行けば行くほど豪華な作りになる。








一張りは余裕で、、、、、、、、、、、、

いや、、、なんでもねぇです。。。ええ。。。

ちょっと良からぬことを想像したのは私だけじゃないだろう。。。



しかし、、、

残念なことにこのシェルターも撤去されるという噂が。



行くなら早いほうが、、、、、、、、、、

はっ、、、独り言ですったら、、、お気になさらず。。。





尾根の上部まで行くと、

赤い溶岩帯から黒い溶岩帯に変わる。






ちなみに手前の金網は、、、

この尾根沿いに電話線が通っているそうなので、その保護のモノだろう。





だいぶ上まで来た。

頂上まではあと少し。






なんとなくだが、大弛を行くよりは短く感じた。





頂上だ。






東の賽の河原と言うらしい。





旧観測所は目の前。






なんだかホっとしてしまう。







いつか歩いてみたいと思っていた歴史ある尾根道。

そこを富士山のエキスパートと一緒に登り、色々なお話が聞けた。



物凄く嬉しいひとときであり、

一発でこの道が大好きになってしまった。



条件が合えば、また歩きたい道だ。







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