山ん中DNA。

工場長Ⅱ

2011年11月16日 09:51



先週末の一族旅行で、

旅行先が秩父であったことにはコレと言って理由はない。



そんなに遠くなくてメシが旨い旅館がイイねぇ、、、

なんて言っていたら何となく秩父の旅館になってしまっただけだ。



ちなみに、秩父にはメシが旨い旅館&民宿が多い。

ナンチャラトラベルやホニャララnetで調べてみれば分かる。

料理の口コミ評価が高い旅館が多いのだ。







あ。いや。

そんなコトは今回の話とは関係がない。

話は変わる。







うちの家族で、、、

一番濃い血を残しているのは父方の祖母。

容貌やら性格やらはそこからが最も多い気がする。

顔の輪郭なんかは、祖母⇒親父⇒私⇒長男&三男、って感じだ。


その祖母はチャキチャキの江戸っ子だった。

まぁ、私が小さな頃に亡くなってしまったので記憶は殆ど無いのだが。





その祖母の旦那、、、

何だか面倒な言い方になってしまったが、

要するに父方の祖父、その出身地は秩父の山奥なのだ。

この祖父はさらに私が小さかった時に亡くなっているので、これまた記憶が無い。







せっかくみんなで秩父に行くのだからと、

その祖父の出身地を訪ねてみるコトにした。







と言っても、、、

私も弟もそこに初めて行くわけではない。



ちょうど、うちの長男ぐらいの年齢の時に、

父親の単車のタンデムシートに乗り、そこには行ったことがある。

単車のうしろだったので、当然別の日にそれぞれ行ったのだが、

私と弟の共通の感想は、

「日本むかし話の家みたいだった。」

と言うことだ。





山、畑、茅葺屋根、囲炉裏。

家の前には小川が流れていて沢蟹が居た。


当然、東京では見られない光景だったし、

両親とも出身は東京都武蔵野市であったから、

私は田舎の無い子供だったので、その光景は強烈に印象に残っている。


30年も前、幼稚園の頃の体験なので、

何やら霞がかかったような記憶ではあるが。





その頃の父親が何故そこを訪れたのか。

それは自分のルーツみたいなものが気になったからだと言う。

今の私と同じ歳か、もうちょっと若い時だっただろう。

恐らく祖父が亡くなってから数年後。


祖父はあまり出身地の事をしゃべりたがらなかったらしい。

それはそれは、かなり気になったことだろう。







日曜日、、、

旅館をチェックアウトした後、車で向かった。







正確な地名は伏せておくが、秩父市街から30分ほど。

ズンズンと山の中へ入っていく。

標高は奥多摩駅と同じぐらいだろう。



ちょっとした駐車スペースに車を止める。

帰宅後に調べたら、とある山の登山口の一つであった。







舗装された山道を登っていく。






二日酔いの身体には少し堪える。







祖父の生家はもう無い。

家を取り壊した後の平場にお墓が建っていた。








ココに祖父が入っている訳ではないが、

ちょっと変わっている同じ苗字の人々のお墓参りをする。



昔はもっとたくさん有ったであろう、同じ苗字の家も今は1,2軒とのこと。

祖父のように街へ出て行ったのだろう。







墓参りの後、

少し山道を登ってみたが廃屋を最後に、ただの林道のようになった。






人の気配もしないので車に引き上げる。







公孫樹の落ち葉と、

その横の小川を見ながら歩いていると、何となく記憶が甦ってきた気がした。






こんな感じだった気がするなぁ、と。







この数年、山狂いの状態が続いている。

現在、何も考えなくて良いなら、住みたい所はこんな場所だ。



遺伝子の奥の奥のほうから山が呼んでいるのだろうか。



なんてコトを感慨深く思っていたら、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
































長男が坂を駆け下り、思いっきりコケた。。。






擦り剥いて、血が出て、大泣きである。。。







ああ。。。

うるせぃなぁ。。。










祖父の故郷に寄ったからだろうか。

その故郷の味を買い過ぎてしまった。






また、飯が旨い。










ええ!?

いつも買ってるようなモノばっかりじゃないかって??





嫁がこんなコト言うんだ。。。





ああ。。。

うるせぃなぁ。。。





旨いんだからしょうがないじゃまいか。。。

遺伝なんだよ。。。遺伝。。。








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