さぁ。
妄想の時間だ。
昨日、この本と地図を入手してから何時間眺めていたのだろう。
いや。
ぶっちゃけるとココまで古いモノじゃなくても良かったのだ。
南ア林道が出来る前、昭和40年代ぐらいの地図で充分だった。
けれど、某古本屋の二階でこれらは私を待ち構えていた。
なんとも嬉しい話じゃないか。
それでは昭和15年の南ア登山地図で妄想を始めよう。
72年前の地図であるので、当然のコトながら紙も弱くなっていた。
スキャナーで取込む際にあまりヘンな負荷をかけたくなかったので、
所々、画像がボケてしまっているがそこはご容赦願いたい。
この地図に寄って南アの色々な峠の謎が解けた。
まずはそんな峠を見ていくことにする。
■仙水峠
数日前に書いた
26年前の南ア地図の記事で、
すけろく兄さんと仙水峠の北側が気になる、なんてやり取りをしていた。
この地図では一般登山道としてバリバリの現役であった。
北沢峠方面から登ってくると、
そのまま仙水峠を東に通り過ぎ大武川沿いに登山道が続いている。
その後も大武川沿いをどんどん行き、藪の湯に至る。
温泉から道沿いに東に行けば中央線の日野春駅だ。
ちなみに
藪の湯は今でも営業している。
仙水峠の写真が無かったかと探してみたのだが、
私は北沢峠方面から甲斐駒に登ったのは夏一回&冬一回だけなので、
あまり良いものが無かった。
それでもそのまま先に行けそうな雰囲気がしなくもない。
■大ナジカ峠
今でもあまり歩かれてはいないが、
甘利山⇒千頭星山⇒大ナジカ峠⇒苺平 と続く鳳凰山へのアプローチがある。
ココが好きで
頻繁に歩いている山友がいるので、
私は訪れたことは無いが、その変わった名前もあって印象に残っていた。
この地図では上に書いた道の他に、
芦安から金山沢沿いに大ナジカ峠に向かう道があった。
この取り付きはちょうど長男との北岳の際に車を止めた第7駐車場の辺りだろう。
知っている方も多いと思うがココには
金山沢温泉という湯がある。
大ナジカ峠の写真は持っていないので、山友から無断借用した。
(C-chan。すみません。m(_ _)m)
この地図でも道は無いが、
大ナジカ峠からさらに北に丸沢沿いを行けば青木鉱泉に至る。
この地図の時代よりもっと昔は道があったのではないだろうか。
■杖立峠
今回、峠に関して一番驚いたのはココだった。
予想もしない所に道がついていた。
右下が杖立峠。
そこから北東に斜面をトラバースするような道が付いている。
そして、その行き先は左上の広河原。
しかもその途中には山小屋まであるじゃないか。
しかし、林道が無かった当時としては、
むしろ夜叉神峠から広河原に向かうメインルートだったのではないだろうか。
ちなみに立派な道標が立っているこの場所は杖立峠ではない。
私はニセ杖立峠なんていう書き方をするが、
本当の杖立峠は72年前の地図にもあるようにこの辺りである。
どうせなら本当の場所に道標をつけてもらいたいものだ。
■横岳峠
鋸岳の西に横岳峠という峠がある。
ココもずっと引っかかっていたのだがこの地図で謎が解けた。
当時も戸台川から登る場合は角兵衛沢&熊ノ穴沢からのアプローチはあったらしい。
しかし、メインは寝木小屋沢から横岳峠だったようだ。
前者2つは赤破線だが寝木小屋沢は実線になっている。
■広河原峠
ココも仙水峠と同様にすけろく兄さんが北側を気にしていたが、
ずばり北側に抜ける道があった。
画像がボケていて申し訳ないが、
真ん中のミヨシノ頭の南東が広河原峠。
そこから赤薙沢本谷を通り大武川に至る。
大武川からは仙水峠からの道と合流し、藪の湯へ抜けて行く。
■井川越
ココもやはり十字路だったようだ。
この地図では大井川東俣から乗越沢で直接、井川越に出た後、
大横川沿いに下り三峰川に出る道が書かれている。
当時はまだ熊ノ平小屋はなく、野営地の×マークがあるのみである。
それにしてもこの斜面を下っていくと考えるだけでゾッとしてしまう。
この地図の当時はそこまで崩壊していなかったのだろうか。
さて。
まだ気になる道はたくさんあるのだが、
かなり長くなってしまいそうなので分けることにする。
そんなに期間を開けずに“その②”を書こうと思う。
今日みたいに早く帰宅できて、
酒を我慢できる日があればイイのだが。。。