山中の通学路。その①

工場長Ⅱ

2015年12月03日 14:49



大井川の支流である下泉河内川は、

その川沿いに上流へと車道が伸びている。



こちらに越してきてすぐの時に、

子供達を連れて車で探検に行ったのだが、

細い山道を縫って進んでいくといくつかの集落があり、

こんな所にも人が住んでいるんだ、とみんなでビックリした記憶がある。



この地に住むまでは知らなかったが、

大井川流域はその支流や山中に集落が点在しており、

大井川沿いにある集落はどちらかと言うと『街』というニュアンスが強い。

山中から大井川沿いに住居を移すことを『下(しも)に下りる』などとも言う。





少し日々が進み、

その下泉河内川の奥にある集落の壱町河内に知り合いが何人かできた。

壱町河内と書いて『いちょうごうち』と読む。



林業が盛んな頃はお大尽がたくさん住んでいたんだよ、

という集落も今は過疎が進み、空き家が多くなっている。

若者は居ない。





1年ほど前だろうか。

嫁さんと一緒に壱町河内のおばあちゃんの家を訪ねた。


その時に色々と話を伺ったのだが、

一つ、廃好きなヤマヤとして食いついてしまう話があった。



数10年前、、、

以前は壱町河内にも小学校があったのだが、

人口減少により大井川沿いの下泉の小学校と合併となる。

それからは毎日5kmほど歩き小学校に通ったとのこと。

(現在は下泉の小学校も廃校となりもう少し町の中心にある小学校と合併している。)


ここまでは想像がつく話で、ふむふむと頷いていた。



それでね。


おばあちゃんは続ける。


小学校はまだ良いっけだけぇが、

中学校なんてはぁ徳山まで通っただよ。



ええっ!!

ここから徳山なんて15kmぐらいはあるんじゃ。。。

まぢっすか。。。



いやいや。

大井川に出んで山越えていったっけだよぉ。



おばあちゃんは河内川の対岸の山々を指差す。



そ、その道は今もあるんですかね!?(←興奮気味w)



もう猟師も入らんくなったもんで、どうなってるか分からんねぇ。



ニヤリwww





ちょっとココで位置関係を説明したい。






上下に流れている川は大井川。

SLで知られる大井川鉄道は川の左岸を走っている。


赤丸が壱町河内、青丸が小学校のあった下泉、

そして、緑丸が中学校のある徳山である。



確かに壱町河内から徳山に行くには、

一度大井川沿いに出るよりは北側の尾根を突っ切ってしまったほうが早い。



とは言っても通学路ですよ。

ううむ。発想が健脚。

これはそのうち歩きに来なければ。





そして、先月のとある日の午後。

ふと思い立って壱町河内に車を走らせた。



通学路の取り付きを教えてもらおうと、

以前もお話を伺ったSさんの家を訪れる。



ども~。こんにちは。


あれぇ。どした??


ほら。前にお話を伺った。

昔は壱町河内から徳山の中学校に通ってたって話ですけどね。

その山道の入り口が知りたくてですね。


あ~あ。

お父さんなら分かるだけぇが。

今、お父さん居んけだよ。


あらら。

それは残念。

それじゃあMさんなら知ってますかね??


おう。

Mさんの旦那さんなら知ってるよ。

聞いてこ。


はい。あざす~。





Mさんもここ2年ぐらいお付き合いがおばあちゃん。

それはそれはスゴイ家に住んでらっしゃる。

河内川を橋で渡り、登山道のような道を数分登ると山の斜面にMさん宅はある。



こんにちは~。ごめんください。


ああれぇ。随分と久しぶりだねぇ。

またまたどうした??


あの。以前にSさんに聞いたんですけどね。

昔は壱町河内から徳山の中学校に山を越えて通ったって。

その道の入り口を教えて欲しくてですね。


ほうだだよぉ。

昔は徳山まで山越えて行っただよ。

お父さんなら知ってるから待ってな。



ようやく詳しくその道の話を聞くことができた。


しかしながらアレだ。

壱町河内にお嫁に来たおばあちゃんたちは詳しく分からず、

ココで生まれ育った方々しかその道は歩いていないようだ。

その方たちもご高齢である。

今のタイミングで話を聞けて良かったのかも知れない。





さて。

聞いて分かったことは、、、

・もう少し奥に行くと河内川の河原に下りる踏み跡があるので下る。

・河原に出て対岸に渡る。
 以前は畑仕事や猟師が利用していたので橋があったが、
 現在は道が全く使われなくなったため橋はない。

・対岸に渡るとそれと分かる踏み跡があるはずだが、
 もう何年も誰も歩いていないので状態は良くないと思う。
 茶畑を通る道もあったので今は放置茶畑になっているし藪もスゴイだろう。

・徳山に行く道のほかに田野口へ行く道もある。





この日私が失敗したのは、

思いつきで来たので地形図を持ってこなかったことと、

同じく思いつきで来たためもう午後も2時を過ぎていたことだ。



それでも取り付きの情報を教えてもらえたし、

1時間ぐらいの探索なら出来そうだ。

ちょっとだけでも歩いてみよう。



河内川沿いの車道に戻り左を気にしながら歩く。


お。あった。河原に下りる踏み跡だ。






入っていく。





水辺リまで行き対岸を見渡すと、、、






おお。

道だ。道だ。





何とか渡渉し山道を登って行くとすぐに物置小屋が。






しばらく使われていないようだ。





放置茶畑の藪を少しの時間、漕ぐ。






お茶の木というのは生命力が強く、

放っておくとモノスゴイ藪になる。

ハイマツの藪漕ぎに近いだろうか。





最初の茶畑を抜けふと上を見上げると、、、

うお。ピンクリボンだ。






4,5年は経っていそうだが、

そのぐらいには歩いた人がいたということだ。

少しホッとしたような、残念なような。





リボンに導かれてそちらに行くときちんとした登山道が。








広くしっかりした道で現役の道じゃないかと少し訝しんだが、

路面は踏まれていない枝や落ち葉でフカフカとしていた。

やはり人は入っていないようだ。





しばらくこの広い道を辿る。








このまま何事もなく歩き通せそうな雰囲気さえするな。





しかしと言うかやはりと言うか、

斜度が緩やかになった所で踏み跡は徐々に薄くなり、

やがて間伐で倒れた木々の中に消えていってしまった。

しばらく踏み跡を探してみたがそれらしきものは無い。





さあて。

どうするか。





恐らく元々の道はこちらに伸びていたんじゃないか、

という場所は間伐での倒木地帯になっていて歩き難そうだ。

当たりをつけた方向の先で合流する尾根にこの辺りで乗って進んでみるか。





強引に尾根に乗りしばし歩く。






尾根には踏み跡はない。





この辺りで合流するのでは、という所でドンピシャ。








倒壊寸前の小屋を発見。





その先の尾根には道らしきものが見える。

が、ちょうど15時。

今日はココまでだな。





小屋の前から道が無くなった地点まで下っていく。






やはり踏み跡は見当たらない。





何とか最初の広い道まで戻り、取り付きの放置茶畑まで下っていく。






ふうむ。

次に来る時はちゃんと地形図を持って早い時間に来よう。





車で帰路につく。

家のちょっと手前で偶然、Sさんに会う。


どうだった??

行けたかい??


いやぁ。

途中で道が無くなっちゃいまして。

今日は時間切れで帰ってきました。


ほぉか。

お父さんその辺で仕事してるよ。

今呼んで来っからそこに車停めて待っててこ。


おお。

それはよかった。

ちょっと話を聞きたかったんですよ。



このSさんの旦那さん、

うちの店にもよく来てくれ、山の話なんかで盛り上がる。

元きこりさんなのだ。



今日歩いた詳細を話し、写真を見せる。



ああ。こりゃあ田野口に行く道だぁ。

懐かしいなぁ。

この小屋の上にもう少しちゃんとした小屋があってな。

炭焼き小屋だったんだぁ。

徳山行くには茶畑から横移動しにゃんだよ。

まだ歩けるか分からんけど、今度一緒にいこか??



おお。

それは願ってもない。

お互いの都合が良い時に、と約束をした。



田野口というのは下の地図で黄色で囲んだ集落。






当時、一番近い農協がココだったらしく、

お茶時期になると揉んだお茶を担いでココの農協まで持って行ったらしい。

しかも、その仕事は女性の担当だったとのこと。健脚w



今も地形図には、

壱町河内から田野口までは登山道の表記があるが、

もちろんそこも廃道化しており、今回私が辿ったのはまた違う道らしい。





Sさんの旦那さんとの探索に出かけたらまた続きを書くことにしよう。





その②に続く。。。








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