寸又川東側集落 下閑蔵 18/2/7

工場長Ⅱ

2018年02月08日 17:04



ぐはぁ。。。

この間の日曜にギックリ腰をやってしまいました ><

元々椎間板ヘルニアもちなんで慣れてはいるんですが仕事がツライツライ。。。


けどまぁ、快方には向ってるんで、

あと1,2週間すればフツーになると思います。


そんなこんなでちゃんとした登山は無理だったんですが、

ハイキングというか、気になっていた廃村を歩き訪ねてみました。



ちょっとマニアック過ぎるので少々説明をば。



今でさえ秘境感漂う寸又峡温泉ですが、

以前はそれよりもっと奥にも集落が点在していました。

前黒法師岳に登る途中にある湯山集落跡なんかはその一つです。



コッチに越してきて登山関係のことは当然として、

その他にも川根の古道や廃道、廃村なんぞを調べていたりしましてね。

そんなコトをしていると地元マニアックネットワークに繋がりが。


そのお一人なんですが、

上に書いた湯山集落で最後の一人になるまで住んでいたという、

おじいさんとも知り合うことができて、一杯やりながらお話を伺ったりなんかも。


その時に大間(今の寸又峡温泉街)より奥の集落(現在はすべて廃村)の

様子をお聞きしたり、資料を頂いたり。


それを元にいつかその集落跡を訪ねてみたいなんて思っておりました。



今回行ったのは、

寸又川の左岸に点在した集落(総じて東側集落と呼ぶ)で、

一番南にある下閑蔵という集落跡です。






この辺りに詳しい人ならピンと来るかもですが、

要は寸又川左岸林道沿いにあった集落です。


が、集落自体は林道ができるずっと前、

早いところでは江戸時代から人が住んでいたという記録があり、

伝承ではそれよりも前に落人が住んでいたなんて話も。



左岸林道が通れた時は、

大無間とか光岳の登山のついでに寄ってみるなんてことも考えられましたが、

今は徒歩でも無理なので登山というより純粋?な廃村探訪として行くしかない。

登山じゃなくてハイキングでもなく廃キングですかねw





そんなこんなでかなり前置きが長くなりましたが、ギックリ腰中のリハビリ開始。





腰をやっちゃってる時は何より車の運転がキツイ><

寸又峡までも行けないかもなんて思っていましたが何とか到着。

登山靴を履くのも手間取る痛さだけど準備完了で出発w



左岸林道へは朝日岳の登山口へ行く要領。

猿並橋を渡り、びくに坂を登り左岸林道到着。










朝日岳の登山口を見送りそのまま林道を奥へ。



色んな廃林道を歩いてますが、

意外にも左岸林道をちゃんと歩くのは初めてだったりします。












まずは思いの外、落ち着いた感じ。





その後もしばらく萌え廃が続く。










この辺の荒れ具合だったら東海の土木部なら一瞬で修復しそうなw





ゲート跡を過ぎ少々きな臭くなると朝日岳のガレが見えてきました。












そろそろ下閑蔵沢かな。





謎の登山口、下閑蔵沢を過ぎると、

集落跡と目星を付けていた所に『まんきぼつ』との道標が。












地名ですかね。

深南部には『~ボツ』って多いですからねぇ。





っで、、、

下閑蔵の集落跡はここから下るんだと思うけど、、、











う”

まさかの小屋発見w

さすがにもう石積みぐらいしか残ってないと思ってたけど。



この小屋を頂点にして、

わずかに下りながら平場が点在している。












石積みや竈の跡もしっかり残っています。





周辺を長めに散策し、林道に戻ろうとしたら、

先ほどの小屋の上にかなり昔のお墓を発見。






字が読める所はしっかりメモメモ。

新しいほうのお墓で明治時代末期のものでした。





林道に戻り昼飯。






何だかんだで長時間歩いたので腰にキています><


この先の集落跡はまた今度にしましょう。

ココから千頭ダムまでまだ3つは集落跡があります。

遠からずまた来てみましょう。





ということで腰痛に耐えながら来た道を引き返す。






腰を庇いながら6時間近く歩いたので股関節が。。。

とは言っても悪化することもなく無事に帰還。





ココでは書いてませんが、

こちらに越してきて登山以外のこともちょろちょろやっています。

(いずれにしても山がらみですけどw)

そんなこともボチボチ書いてみますね~。





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