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2012年09月24日

72年前の南ア登山地図。その①



さぁ。

妄想の時間だ。

昨日、この本と地図を入手してから何時間眺めていたのだろう。


72年前の南ア登山地図。その①



いや。

ぶっちゃけるとココまで古いモノじゃなくても良かったのだ。

南ア林道が出来る前、昭和40年代ぐらいの地図で充分だった。

けれど、某古本屋の二階でこれらは私を待ち構えていた。

なんとも嬉しい話じゃないか。





それでは昭和15年の南ア登山地図で妄想を始めよう。


72年前の南ア登山地図。その①

72年前の南ア登山地図。その①



72年前の地図であるので、当然のコトながら紙も弱くなっていた。

スキャナーで取込む際にあまりヘンな負荷をかけたくなかったので、

所々、画像がボケてしまっているがそこはご容赦願いたい。





この地図に寄って南アの色々な峠の謎が解けた。

まずはそんな峠を見ていくことにする。





■仙水峠

数日前に書いた26年前の南ア地図の記事で、

すけろく兄さんと仙水峠の北側が気になる、なんてやり取りをしていた。

この地図では一般登山道としてバリバリの現役であった。


72年前の南ア登山地図。その①



北沢峠方面から登ってくると、

そのまま仙水峠を東に通り過ぎ大武川沿いに登山道が続いている。

その後も大武川沿いをどんどん行き、藪の湯に至る。


72年前の南ア登山地図。その①



温泉から道沿いに東に行けば中央線の日野春駅だ。

ちなみに藪の湯は今でも営業している。



仙水峠の写真が無かったかと探してみたのだが、

私は北沢峠方面から甲斐駒に登ったのは夏一回&冬一回だけなので、

あまり良いものが無かった。


72年前の南ア登山地図。その①



それでもそのまま先に行けそうな雰囲気がしなくもない。





■大ナジカ峠

今でもあまり歩かれてはいないが、

甘利山⇒千頭星山⇒大ナジカ峠⇒苺平 と続く鳳凰山へのアプローチがある。

ココが好きで頻繁に歩いている山友がいるので、

私は訪れたことは無いが、その変わった名前もあって印象に残っていた。


この地図では上に書いた道の他に、

芦安から金山沢沿いに大ナジカ峠に向かう道があった。


72年前の南ア登山地図。その①



この取り付きはちょうど長男との北岳の際に車を止めた第7駐車場の辺りだろう。

知っている方も多いと思うがココには金山沢温泉という湯がある。



大ナジカ峠の写真は持っていないので、山友から無断借用した。

(C-chan。すみません。m(_ _)m)


72年前の南ア登山地図。その①



この地図でも道は無いが、

大ナジカ峠からさらに北に丸沢沿いを行けば青木鉱泉に至る。

この地図の時代よりもっと昔は道があったのではないだろうか。





■杖立峠

今回、峠に関して一番驚いたのはココだった。

予想もしない所に道がついていた。


72年前の南ア登山地図。その①



右下が杖立峠。

そこから北東に斜面をトラバースするような道が付いている。

そして、その行き先は左上の広河原。

しかもその途中には山小屋まであるじゃないか。


しかし、林道が無かった当時としては、

むしろ夜叉神峠から広河原に向かうメインルートだったのではないだろうか。



ちなみに立派な道標が立っているこの場所は杖立峠ではない。


72年前の南ア登山地図。その①



私はニセ杖立峠なんていう書き方をするが、

本当の杖立峠は72年前の地図にもあるようにこの辺りである。






どうせなら本当の場所に道標をつけてもらいたいものだ。





■横岳峠

鋸岳の西に横岳峠という峠がある。

ココもずっと引っかかっていたのだがこの地図で謎が解けた。

当時も戸台川から登る場合は角兵衛沢&熊ノ穴沢からのアプローチはあったらしい。

しかし、メインは寝木小屋沢から横岳峠だったようだ。


72年前の南ア登山地図。その①



前者2つは赤破線だが寝木小屋沢は実線になっている。





■広河原峠

ココも仙水峠と同様にすけろく兄さんが北側を気にしていたが、

ずばり北側に抜ける道があった。


画像がボケていて申し訳ないが、

真ん中のミヨシノ頭の南東が広河原峠。


72年前の南ア登山地図。その①



そこから赤薙沢本谷を通り大武川に至る。

大武川からは仙水峠からの道と合流し、藪の湯へ抜けて行く。





■井川越

ココもやはり十字路だったようだ。

この地図では大井川東俣から乗越沢で直接、井川越に出た後、

大横川沿いに下り三峰川に出る道が書かれている。


72年前の南ア登山地図。その①



当時はまだ熊ノ平小屋はなく、野営地の×マークがあるのみである。


それにしてもこの斜面を下っていくと考えるだけでゾッとしてしまう。


72年前の南ア登山地図。その①



この地図の当時はそこまで崩壊していなかったのだろうか。





さて。

まだ気になる道はたくさんあるのだが、

かなり長くなってしまいそうなので分けることにする。

そんなに期間を開けずに“その②”を書こうと思う。



今日みたいに早く帰宅できて、

酒を我慢できる日があればイイのだが。。。









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この記事へのコメント
72年前とはすごいぢゃまいか!

近場の低山でも歩かれなくなったルートはどんどん踏み跡が薄くなってます。

いずれは完全に消えてしまうかと思うと・・・かわいそうな気がします。

72年の間にはそういう運命をたどった登山道がずいぶんたくさんあるんでしょうねぇ。
Posted by 賢パパ at 2012年09月25日 03:33
おはっス。工場長。。。

以前鋸に寝木小屋から横岳ルートで登りました。。。
おそろしく古いブリキの道標なんかあったから
????って感じでしたが、なるほどねぇ、、、
納得しました。。。

第二段、期待してます。。。
Posted by yamabuki@朝飯後 at 2012年09月25日 07:58
賢パパ。ちわッス!!

>いずれは完全に消えてしまうかと思うと・・・かわいそうな気がします。
いやぁ。
それで良いんじゃないでしょうか。
登山道どころかコンクリート舗装された林道なんかでも、
時間が経てば自然には負けてしまいます。

誰も通らない道がずっと残るほうが不自然ですよ。
Posted by 工場長@職場 at 2012年09月25日 08:36
yamabukiさん。ちわッス!!

>以前鋸に寝木小屋から横岳ルートで登りました。。。
>おそろしく古いブリキの道標なんかあったから
おお。まぢっすか。
今度、写真があったら見せて下さいまし。

俺は角兵衛沢から登ったことしかありませんが、
そういえばそっちにも古い道標が残っていたような。

今は角兵衛と熊ノ穴沢の入り口には新しい道標が立っていますよ~。
Posted by 工場長@職場 at 2012年09月25日 08:40
女は地図が読めないというのは本にもなるほどの定説でして・・・(^^;
ちったぁ勉強せねばと思いつつ。

うちのお隣石川県の加賀市には、「深田久弥 山の文化館」なる
味わいのある施設がありまして、そこの書庫がかなりスゴイです。
もちろん「山と渓谷」のバックナンバーもずらずらずら~~っと。
まぁ工場長さんがこっちに来るなんてことはないと思いますが(笑)
もしも来ることがあったならぜひお立ち寄り下さい。
たぶん、古地図とか掘り出し物もあるんじゃないかしら?
購入は出来ないけど閲覧は可能なので、
たっぷりと妄想を楽しめると思います。
Posted by mie@丸炊連北陸支部 at 2012年09月25日 09:02
工場長さん、こんにちは!

この地図は工場長さんのところに来るべくして来たんですねー!
昭和15年って私の両親が生まれた年ですよ・・・古っ!

私も地図好きで一日中眺めて妄想できるのですが、
南アをよーくご存知の工場長さんにはこの地図はたまらんでしょうねー(^^♪

あ、それから、前記事のサントリーのウイスキーのとこ、
一人大爆笑してしまいましたぁ。げんさんに見せないとね(笑)
こういう時代の流れってなんか微笑ましいもんですね。

いせやで工場長さんがニヤニヤしてる姿が目に浮かびます(#^.^#)
日曜日は雨降ってなかったら、イセヤ行きたいねーって相棒と話してたのでした。
Posted by 矢車草 at 2012年09月25日 10:03
おおい!!
あの写真を見たことがあると思ったら・・・

しかし、72年前の鳳凰三山の地図、よく持っていますね・・・うらやましい限り。

昔は、芦安の人たちが大ナジカ峠を越えて青木鉱泉でお風呂に入った話、その当時は青木鉱泉がもっと上にあったのも、今の南御室小屋のオーナーさんから聞いたことがありますよ。
72年前だと、そのお父さんの時代、あの時は鳳凰三山のメインのアプローチも、大ナジカ峠経由の道だったそう。遊びではなくて仕事で行ったり来たりしていたので、歩きやすさより「早く着く」ことを重視していたのは今の道のあの険しさの一つの理由だとか。

杖立峠にもあんな道があったのも知りませんでしたが、小屋の話は聞いたことがあります。ところで、今でも探せばある、夜叉神峠をトラバースで迂回する道があるのも、同じ時代のものなのかな。

「旧青木鉱泉」から御室小屋への道、昔の国体がきっかけで作ったことがある、と聞いたことはありましたがもっと前にもありましたね。

ああ、面白い・・・またあの辺、歩きたくなってきました!
Posted by C-chan at 2012年09月25日 11:05
mieさん。ちわッス!!

>女は地図が読めないというのは本にもなるほどの定説でして・・・(^^;
うはは。。。
空間把握に関してはしょうがないらしいですね。。。
何かの本で読んだことがあります。

>うちのお隣石川県の加賀市には、「深田久弥 山の文化館」なる
>味わいのある施設がありまして、そこの書庫がかなりスゴイです。
へぇ~。
そんな所があるんですか。
何かの時には行ってみたいですが、
なかなか日本海側に行く機会が無くてですね。

山小屋バイトの帰りに、
富山や金沢で食い倒れた記憶が蘇ります。遠い目。。。
Posted by 工場長@職場 at 2012年09月25日 12:20
矢車姉さん。ちわッス!!

>昭和15年って私の両親が生まれた年ですよ・・・古っ!
うちの両親は生まれてもいないです。
爺ちゃんたちもまだ結婚する前ですね。

>南アをよーくご存知の工場長さんにはこの地図はたまらんでしょうねー(^^♪
あまりにもガン見し過ぎて、
地図がヤヴァくなりそうなんで、
昨日カラーコピーをとってきてそれで眺めてます。はは。

>いせやで工場長さんがニヤニヤしてる姿が目に浮かびます(#^.^#)
ちょっと危ない人になっていたかも知れません。。。
なので1時間ぐらいでさっさと帰宅しました。。。

>あ、それから、前記事のサントリーのウイスキーのとこ、
>一人大爆笑してしまいましたぁ。げんさんに見せないとね(笑)
雑誌のほうの広告なんかも面白くてですね。
地図妄想が終ったらそっちも記事にしますね~。
Posted by 工場長@職場 at 2012年09月25日 12:25
C-chan。ちわッス!!

>おおい!!
>あの写真を見たことがあると思ったら・・・
た、大変、、、申し訳、、、ございません。。。

>昔は、芦安の人たちが大ナジカ峠を越えて青木鉱泉でお風呂に入った話
ぬおおっ!!
まぢっすかっ!!
根拠のない妄想だったんですが、やっぱりそうでしたか~。

>杖立峠にもあんな道があったのも知りませんでしたが、
>小屋の話は聞いたことがあります。
聞いたことありましたか~。
五葉尾根小舎と書いてありますが、
検索しても何もヒットせずに謎なままでございます。
歩いてみたい場所ではありますがトラバース系の道はすぐにダメになるので、
広河原まで踏破は難しいんじゃないかと。

>「旧青木鉱泉」から御室小屋への道、昔の国体がきっかけで作ったことがある
南ア南部の廃道も国体で付けられた道が結構あります。
国体がきっかけで一時的に復活したりしたんでしょうかね。

>72年前の鳳凰三山の地図、よく持っていますね・・・うらやましい限り。
例の集まりの時にカラーコピーを持って行きますんで、
画像の無断借用料としてお受け取り下さいまし~。
Posted by 工場長@職場 at 2012年09月25日 12:45
工場長・・・渋い・・・カッコイイ・・・素敵。
こういう思いで山を見れるって、ホントにすごいと思うし素直に感動。
生粋の山男なんですね。若いのに。
チャラ男がいるかと思えば、工場長のように奥行きがあって骨太な男もいて・・・
世の中捨てたもんじゃございませんね。
バイクばっかりいじってるウチの甥っ子に見せてやりたいくらいです!!
(多分同い年くらいなのに・・・哀)
Posted by cyu2 at 2012年09月25日 15:41
cyu2さん。ちわッス!!

>工場長・・・渋い・・・カッコイイ・・・素敵。
ち、ちょ。。。
我が人生上で、ほとんど言われたことがない言葉の羅列。。。
何かの詐欺でしょうか??

>こういう思いで山を見れるって、ホントにすごいと思うし素直に感動。
ややや。。。
コレもマニアなだけですわよ。。。
けど、意外にこんなコトに萌える人も少なくないハズです。

>バイクばっかりいじってるウチの甥っ子に見せてやりたいくらいです!!
あのう。。。
二十代の前半は稼ぐ金のほとんどを単車に注ぎ込んでいたり。。。
バイクも楽しいですよ。。。ええ。。。
Posted by 工場長@職場 at 2012年09月25日 17:59
これは楽シィ!!
この地図ほすぃ~!!
Posted by たけさん at 2012年09月25日 19:17
たけさん。ちわッス!!

>この地図ほすぃ~!!
おお。
たけさんも食いついてきましたなぁ。

バベルにご招待下さればコピーを持参しますともっ!!
Posted by 工場長@職場 at 2012年09月26日 08:31
ぬぉっ!始まりましたね。。
オイラが信濃俣に行ってる間に・・・。

しかし、小屋の多さにも驚きますね~。まあ番人無しの無人小屋、。となればほったて小屋のような感じでしょうがw。

自分も槍ヶ岳~乗鞍の昭和6年の登山地図を持ってますが、徳本峠越え云々はあるにせよ、南アの方が劇的に変化大きいですね。
崩れやすい南アの地質にもよるでしょうが。。

是非、今度コピーさせてくださいまし。
Posted by すけろく at 2012年09月27日 18:05
すけろく兄さん。ちわッス!!

>ぬぉっ!始まりましたね。。
>オイラが信濃俣に行ってる間に・・・。
ぬぉっ!!山に行きやがりましたね。。。
俺は今週末も行けなさそうなのに・・・。

>しかし、小屋の多さにも驚きますね~。
ホントに。
けど、地図には有人小屋の表記がありますが、
ガイド本のほうには有人小屋はほんとんど無いと書いてあります。
北アとは違う、ってこんな昔から書いてありました。はは。

>南アの方が劇的に変化大きいですね。
やっぱりそうですか。
一番は南ア林道と公園線ですよね。

>是非、今度コピーさせてくださいまし。
了解で~す。
Posted by 工場長@職場 at 2012年09月28日 10:10
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