お社と修行之碑。
天平尾根を丹波天平に向かって歩いていた。
と、、、
松や広葉樹の中に黒々とした場所がある。
そこだけ檜が密集しているようだ。
ははぁ。
こういう場所には山ノ神などの小さなお社があるんだ。
近づくとやはり。
私は登山道から大きく外れない限り、このようなお社にはまず立ち寄る。
ちゃんとお参りをするわけではないが、
「すんません。お邪魔します。」
と、心の中や、小声で呟く。
私は信仰心の欠片も無い人間だが、
何故か山を始めた時からやっている行動だ。
山中にある小さなお社。
なんだか妙なありがたさを感じたりしないだろうか。
お賽銭が置いてある所も少なくないので私だけではない筈だ。
さて。
今日の行程では少し楽しみな事がある。
飛龍山には5年前に行ったことがあるが、
その南にある飛龍権現という神社には行ったことが無かったのだ。
地形図にも記載されている神社。
どんな神社なのだろう。
天祖神社ぐらいのモノを想像していたが、思いのほか小さなお社だった。
お社にはお札が一つ奉納されていた。
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平成二十三年
奥秩父東国奥駆第一箇度修行之碑
八月三日-七日
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“奥駆”とあるので修験道だろう。
登山風に言えば4泊5日での奥秩父縦走か。
3ヶ月前だ。
今回の山旅では、
この修行之碑にたびたび会うことになる。
数時間後、将監小屋に下る少し前。
大きな岩の隙間にそれはあった。
その修験者の方は、
この岩に何か力みたいなものを感じたのだろうか。
次は翌日の二日目。
雁峠から笹原を登り最初のピークの燕山に着く。
この道標は登山道沿いにあるのだが、脇に少し小高いピークがある。
そこが燕山の正式な頂上だろうと思い足を運んでみた。
すると、、、あった。
ふむ。
置くところに何か基準でもあるのだろうか。
それとも何か感じたところに置くのだろうか。
そして、最終日の三日目。
富士山が見えない富士見の手前。
少し大きな木の根元に奉納されていた。
うぅむ。
やはり常人の私には置く基準は分からないな。
その後、下山し、、、
帰りの中央線の中で何とは無しに思い出していた。
何だか見たことあるんだよなぁ。あのお札。
今年の八月以降、あの辺りを歩いたのは二回。
一度は
奥多摩の馬蹄形。
もう一度は
長男と行った雲取山。
ピンときた。
帰宅後、写真を見てみる。
おお。そうだ。
タイムスタンプ的にはこの写真の次。
やはりコレだったか。
ちなみに右上に写っているのは長男の指だ。
まぁ、奥秩父を縦走するのだったら、
雲取山に行っているのは当たり前なのだが、
しっかり写真を撮っていた所に妙な縁を感じてしまった。
あらゆる宗教を全く信じていない私だが、
うぅ~ん、山に神様は居るかもしれない。
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