お社と修行之碑。

工場長Ⅱ

2011年11月08日 12:39



天平尾根を丹波天平に向かって歩いていた。



と、、、

松や広葉樹の中に黒々とした場所がある。

そこだけ檜が密集しているようだ。






ははぁ。

こういう場所には山ノ神などの小さなお社があるんだ。





近づくとやはり。








私は登山道から大きく外れない限り、このようなお社にはまず立ち寄る。



ちゃんとお参りをするわけではないが、

「すんません。お邪魔します。」

と、心の中や、小声で呟く。



私は信仰心の欠片も無い人間だが、

何故か山を始めた時からやっている行動だ。





山中にある小さなお社。

なんだか妙なありがたさを感じたりしないだろうか。

お賽銭が置いてある所も少なくないので私だけではない筈だ。





さて。

今日の行程では少し楽しみな事がある。





飛龍山には5年前に行ったことがあるが、

その南にある飛龍権現という神社には行ったことが無かったのだ。






地形図にも記載されている神社。

どんな神社なのだろう。





天祖神社ぐらいのモノを想像していたが、思いのほか小さなお社だった。








お社にはお札が一つ奉納されていた。






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   平成二十三年

 奥秩父東国奥駆第一箇度修行之碑

   八月三日-七日


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“奥駆”とあるので修験道だろう。

登山風に言えば4泊5日での奥秩父縦走か。

3ヶ月前だ。







今回の山旅では、

この修行之碑にたびたび会うことになる。







数時間後、将監小屋に下る少し前。

大きな岩の隙間にそれはあった。






その修験者の方は、

この岩に何か力みたいなものを感じたのだろうか。







次は翌日の二日目。

雁峠から笹原を登り最初のピークの燕山に着く。






この道標は登山道沿いにあるのだが、脇に少し小高いピークがある。

そこが燕山の正式な頂上だろうと思い足を運んでみた。



すると、、、あった。






ふむ。

置くところに何か基準でもあるのだろうか。

それとも何か感じたところに置くのだろうか。







そして、最終日の三日目。

富士山が見えない富士見の手前。

少し大きな木の根元に奉納されていた。






うぅむ。

やはり常人の私には置く基準は分からないな。







その後、下山し、、、

帰りの中央線の中で何とは無しに思い出していた。



何だか見たことあるんだよなぁ。あのお札。



今年の八月以降、あの辺りを歩いたのは二回。

一度は奥多摩の馬蹄形

もう一度は長男と行った雲取山





ピンときた。





帰宅後、写真を見てみる。





おお。そうだ。

タイムスタンプ的にはこの写真の次。








やはりコレだったか。

ちなみに右上に写っているのは長男の指だ。





まぁ、奥秩父を縦走するのだったら、

雲取山に行っているのは当たり前なのだが、

しっかり写真を撮っていた所に妙な縁を感じてしまった。







あらゆる宗教を全く信じていない私だが、

うぅ~ん、山に神様は居るかもしれない。








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