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2011年06月14日

温泉妄想。。。



何においても下調べと言うのは重要なもので、

下調べをしっかりせずに行動に移すと、だいたいが行動後に後悔するものだ。



日曜日の私がまさにそれで、

山行自体は良かったものの、下山後がいただけなかった。



山登りの事しか調べる時間が無かったので、

その周辺の事をほとんど調べずに出かけたのだ。



そして、、、

下山後に素通りしたいくつかの場所の事を、

帰宅後に調べてみて、もうそれは激しく後悔した。。。





そんな、後悔しつつ調べた事で、

なかなか私好みの話があったので記しておく。







まずはくろがね小屋の温泉について調べていた。


ははぁ。

源泉を直接引いてきて、かけ流しになっているのか。

おい。山小屋だぞ。

普通は風呂に入れるのも稀だというのに。。。



山小屋バイト経験者は、

こんなコトをブツブツ呟きながらWikiを読んでいた。



するとビックリする事が書いてある。



(Wikiより抜粋)
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くろがね小屋周辺では既に平安時代までには温泉が発見されていたといわれている。

江戸時代には二本松藩主・丹羽氏によって一帯が温泉街として整備され、

湯日温泉と呼ばれて大いに賑わい、番所や藩主の御殿も建てられたという。

江戸時代中期になると湯女も許可され、

歓楽温泉街として遠方からの来客も多かったという。
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なぬ??

くろがね小屋の周辺が歓楽温泉街だった!?



おいおい。

激しく山の中だぞ。








しかもアレですよ。親分。

湯女ですぜ。湯女。



歴史モノが好きな人しか知らないかもしれないので書いておくが、

湯女というのは垢すりなんぞもするが、

この、なんというか、ご自分もお売りになったりも致したんざますわよ。うふん。





おっと、、、

興奮のあまりちょっと口調がおかしくなってしまったが、

あの山ん中に歓楽温泉街があったなんて想像がつくだろうか??





だって、ココが、、、


温泉妄想。。。





こんなコトになってたんですよ。


(あくまで妄想ですから。。。)
温泉妄想。。。



ねぇ。

ちょいと想像つきませんわい。





しっかし、、、

このことを事前に知っていたら、

もう、くろがね小屋の前で数分の妄想に浸ったことは間違いが無い。

モッタイナイことをしたものだ。





その後、その歓楽温泉街がどうなったかと言うと、、、



(Wikiより抜粋)
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文政7年(1824年)、豪雨や台風の影響で鉄山の一角が崩壊し、

その土石流が温泉街を直撃、湯元人や湯治客など63人が死亡する大惨事となり、

温泉街は壊滅してしまった。

現在立ち入り禁止となっているくろがね小屋-馬の背の登山ルート沿いの

源泉地帯が湯日温泉街の中核部分で、

現在も当時の名残が少なからず残っているという。

温泉はその後、十文字、深堀を経て、明治39年(1906年)に椚平の地に移転、

これが現在の岳温泉である。
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災害で埋まってしまったらしい。



しかし、、、

「現在も当時の名残が少なからず残っているという。」

という一文が気になる。


ガスマスクを装着しても訪れたいものだ。







こんな感じで調べていたら、、、

当然というか何というか、岳温泉も調べたくなる。



岳温泉観光協会のHPに、、、

“岳温泉の歴史・伝説”というコンテンツがあった。



詳しくはリンク先を読んで頂くとして、

上に書いた土石流での壊滅後の話を少し。



(岳温泉観光協会HPより抜粋)
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藩は湯日温泉から6km程下の平原地(現在の不動平)に新温泉地を建設に着手した。

鉄山の湯本からの引湯は、当初は土管を樋として土中に埋めたが湯冷めがするため、

松の木管に変更するなど大がかりだった。

そうして費用5千両をかけ驚異的な早さで翌年7月に完成したのである。

高台に藩公御殿や温泉神社が鎮座し、下方には4区画の町並み、

中心地に14件の旅館と3つの共同浴場、茶屋・商店・工人が軒を連ねていた。

旅館は総て2階造りであり、

当時としては想像を絶するほどの温泉街であったことがわかる。

しかしその繁栄も長くは続かず慶応4年(明治元年)の戊辰戦争において

敵西軍の拠点になることを恐れた二本松藩士によって焼き払われてしまった。
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ちょ。。。

コレも結構すごくないですかい。。。



■1824年8月15日 土砂崩れで壊滅

 ⇒すぐに移転先を見つけて新温泉地の建設開始。

1825年7月 完成っ!!



1年かかってないじゃないすか。。。

こんな超迅速なコト、今の行政ではじぇったい無理。。。





っていうか、それにしても早過ぎ。





もう。

アレなんでしょうね。

お殿様的に『温泉が無いなんて絶対ヤダモンッ!!』

って感じだったんでしょうね。

スンバラシイ。





その時の二本松藩主は丹羽長富と言う人物。


温泉妄想。。。





私はこの方を尊敬の念をこめて《温泉侍》と呼ぶことにした。










と、、、

まぁ、こんなコトを事前に調べていれば、、、

くろがね小屋の前で、数百年前の賑わいを妄想し、

下山後には《温泉侍》に思いを馳せつつ、岳温泉に浸かる、

なんてコトが楽しめたのだ。





なんだか惜しいコトをしたが、

また行こうという理由が出来たとも言えなくは無い。













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この記事へのコメント
コメントご無沙汰しております^^;

妄想シリーズ!!今回は工場長様の鼻の下が伸びた姿を勝手に想像しちゃいました!(^^)!

>ガスマスクを装着しても訪れたいものだ
温泉は大好きなので,この発想は思いつきませんでしたが,“確かに!”と納得!!
でも,あまりの気持ちよさにマスク取ってしまいそうですよね(笑)
Posted by blueberry at 2011年06月14日 17:55
blueberryさん。ちわっス!!

>鼻の下が伸びた姿を勝手に想像しちゃいました!(^^)!
うはは。。。
この妄想をしつつモノを調べていく作業の面白いコト。。。
いや。。。俺だけかも知れませんけど。。。

>この発想は思いつきませんでしたが,“確かに!”と納得!!
なんかですね。
そういう本があるらしいんですよ。
ガスマスク無しじゃ入れない温泉とか、
ものスゴイところにあるんで、
行くのに冒険になってしまうような温泉を特集したヤツが。
ちょっと読んでみたいです。
Posted by 工場長@職場 at 2011年06月15日 08:32
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